きっとあなたは『ジョジョの奇妙な冒険』第1部を読み進めるうちに、高潔で善良な人物として描かれているジョースター卿が「なぜ一部のファンの間で戦犯と呼ばれているのか」という疑問を抱いたのではないでしょうか。
ジョースター卿は、命を助けてくれたと信じたダリオへの恩義から、その息子ディオを養子として迎え入れます。善意から始まったこの決断は、結果としてジョースター家に大きな影を落とすことになりました。邪悪な本性を持つディオの裏切りに最後まで気づけなかったジョースター卿の性格や判断力には、無能という評価すらついて回ります。
また、実の息子であるジョナサンに対しては過剰に厳しく接し、対照的にディオには甘い態度を取る場面もあり、読者の間ではその教育方針がしばしば議論を呼んでいます。彼の残した名言やセリフは、聖人としての一面を象徴しつつも、時に現実を直視しない弱さの表れとして受け取られることもあります。
この記事では、ジョースター卿がなぜ戦犯と呼ばれてしまうのか、その評判の真相に迫りながら、善意と信念のはざまで揺れ動いた一人の父親の選択を丁寧にひも解いていきます。
- ディオを養子に迎えた判断のリスクと影響
- 善意が裏目に出たジョースター卿の性格と行動
- ジョナサンへの教育方針と家庭内の不均衡
- 名言や評判を通じた評価の分かれ方
ジョースター卿が戦犯と呼ばれる理由とは

- ディオを養子にした判断の是非
- ダリオへの恩義が生んだ悲劇
- 善意の無能がもたらした結果
- 聖人すぎる性格が裏目に出た
ディオを養子にした判断の是非

ジョースター卿がディオ・ブランドーを養子として迎え入れたのは、かつて命を救ってくれたと信じていたダリオへの恩返しの意味合いが強かったです。しかし、その行為は後に一族に重大な災厄をもたらすことになります。
善意に基づいた選択ではあったものの、人物の素性を深く確認せず、「恩人の息子だから」という理由だけで家庭に迎え入れた点には疑問が残ります。その結果、ディオはジョースター家の財産と地位を狙い、ジョナサンやジョースター卿自身に多くの害を及ぼしました。
この判断が「戦犯」とされる理由は、ディオがもともと強い野心と冷酷さを持っていたにもかかわらず、ジョースター卿がそれに気づけなかった、もしくは信じすぎていたという点にあります。家庭内に敵を招き入れる形となってしまい、ご本人の死だけでなく、その後のジョースター家全体にわたる長い戦いの原因を作ってしまいました。
つまり、「善意」や「義理」といった正当な動機が、後に取り返しのつかない事態を招くきっかけになってしまったのです。
一方で、作品内ではジョースター卿の行為そのものが完全な過ちとして描かれているわけではありません。彼の生き様や信じる姿勢はジョナサンに受け継がれ、物語の核となる「人の善意」や「誇り高き精神」の象徴とも言えます。だからこそ、この判断が「是か非か」を問う議論は、善意とその結果のギャップを浮き彫りにする難しいテーマとなっています。
ダリオへの恩義が生んだ悲劇

ジョースター卿がダリオ・ブランドーに抱いた恩義は、実は誤解に基づくものでした。馬車事故で瀕死状態だったところをダリオが発見したことが「命を救われた」と解釈され、後にその恩に報いる形でジョースター卿はダリオを支援し続けました。しかし実際には、ダリオは物を盗む目的で現場に現れただけだったというのが真実に近いとされています。
とはいえ、もしその場にダリオがいなければ誰にも発見されず、一家全員が命を落としていた可能性もあります。だからこそジョースター卿は「彼が悪人であっても、行動の結果として命を救われたことに変わりはない」と考え、恩義を大切にしました。これは非常に高潔な考え方であると同時に、現実的な危機管理を欠いた判断でもあったといえます。
その恩義によってダリオを助け続けた結果、ディオという存在がジョースター家に深く関わるようになり、後に多くの悲劇を巻き起こす要因となりました。
ジョースター卿の「誰かを信じ、見返りを求めずに尽くす」という姿勢は、人間的には称賛されるべきものですが、状況によってはそれが無防備さと紙一重であることも浮き彫りになっています。
この一連の流れは、「善人だからこそ悲劇を招くこともある」というテーマを色濃く反映しており、ジョースター卿が“戦犯”視される要素として読者から語られる一因になっているのです。
善意の無能がもたらした結果

ジョースター卿の行動には、一貫して「他人を信じる」という善意がありました。しかし、その善意が結果的に“無能”と批判される原因となってしまった場面も多く見られます。特に、ディオのような野心的で危険な人物に対しても疑いの目を向けなかった点は、致命的な判断ミスといえるでしょう。
彼は、ダリオ・ブランドーの本性に気づいていながらも「命の恩人だから」と庇い、ディオに対しても「父のように更生してくれる」と希望を持ち続けていました。しかしその善意は、ディオにとってはただの“利用価値”でしかありませんでした。ジョースター卿が気づかないうちに、家の中はディオの掌の上で動いていたのです。
また、ジョナサンに厳しく、ディオに寛容であった教育方針も、親としての能力に疑問を持たれる要因となっています。この方針により、ジョナサンの心は折れかけ、ディオはますます増長し、家庭内での勢力図が逆転し始めました。
ジョースター卿は「善人でありたい」という信念を貫いていましたが、その結果として大きな危機を招いてしまいました。現代的な価値観から見ると、「優しすぎて人を見る目がない」「危機管理ができていない」といった評価につながり、その善意が「無能」というレッテルを貼られる一因になっています。
善意そのものが悪いわけではありませんが、相手を見極める冷静さが伴わなければ、それは時として破滅を呼ぶ危うい武器にもなり得ます。ジョースター卿の生き様は、そのことを強く示しているのです。
聖人すぎる性格が裏目に出た

ジョースター卿の性格は、まさに「聖人」と呼ばれるにふさわしい高潔なものでした。悪人に対しても情をかけ、過去の過ちを咎めることなく、常に寛容な心で人と接する姿は、物語序盤における大きな魅力の一つとなっています。
しかし、その「聖人すぎる性格」は結果として裏目に出る場面も多々ありました。たとえば、ディオの計画に疑念を抱いたジョナサンが訴えた際も、ジョースター卿は「ディオを信じたい」と言い、訴えを受け入れませんでした。その判断の遅れが、ディオによる毒殺未遂や家族を巻き込む事件へとつながってしまいます。
さらに、ディオを追い詰める決定的な証拠があったにもかかわらず、彼を見限ることはせず、最後まで「何か理由があるのではないか」と信じ続けました。その姿勢は人間としては美しいものですが、家長という立場から見ると、大きな落ち度と受け取られる可能性もあります。
作中では、ジョースター卿の死に際のセリフが多くの読者に感動を与えた一方で、「もっと早く目を覚ましていれば…」というジレンマを残す結果ともなりました。ディオとの関係においては、愛情と理性のバランスを見失っていたように描かれています。
ジョースター卿のように「信じる心」を貫くことは称賛されるべき姿勢ですが、それが“聖人すぎる”という極端な形になると、大切なものさえ守れなくなる可能性があることを、このエピソードは静かに語りかけているのです。
ジョースター卿を戦犯と見なす声の背景

- ジョナサンへの過剰な厳しさ
- 裏切りに気づけなかった理由
- 邪悪なディオを信じた最期
- 名言・セリフが評価を分ける
- 現代では無能と評される行動
- 評判と評価が分かれる人物像
- ジョースター卿が戦犯と呼ばれる背景まとめ
ジョナサンへの過剰な厳しさ

ジョースター卿は、実の息子であるジョナサンに対して非常に厳しい態度を取っていました。一方で、養子のディオ・ブランドーには礼儀正しく、冷静に接していたため、その違いに疑問を抱く読者も少なくありません。
特に印象的なのは、ディオの優秀さを引き合いに出しながらジョナサンを叱責するシーンで、「ディオを見ろ!」という発言が象徴的に描かれています。これにより、ジョナサンは深く傷つき、父への信頼を一時失いかけることになります。
この“過剰な厳しさ”には、ジョースター卿なりの考えがありました。ジョナサンの未熟さを見て、「立派な人間に育てるためには、あえて厳しく接する必要がある」と信じていたのです。彼自身、「必要以上に厳しくした」と後悔する発言もしており、決して愛情がなかったわけではありません。
しかし、その指導方針は、現代の視点から見ると一方的かつ不公平に映ります。特に、ディオの本性を見抜けないままジョナサンだけを責め続けていたことが、息子の精神的負担を大きくしていました。その結果、ジョナサンの心は折れかけ、家庭内の信頼関係にもヒビが入ってしまいました。
ジョースター卿の教育方針は、「甘やかさずに育てる」という伝統的な父親像を体現しているものですが、それが時には子どもの心を深く傷つけてしまうこともあります。ジョナサンの健気な性格があったからこそ立ち直れましたが、他の家庭であれば破綻していてもおかしくない状況だったと言えるでしょう。
裏切りに気づけなかった理由

ディオ・ブランドーがジョースター家を乗っ取ろうとしていたことに、ジョースター卿が最後まで気づけなかったことは、多くの読者にとって大きな疑問点です。明らかな異変やジョナサンからの訴えがあったにもかかわらず、彼はディオの裏の顔を信じようとはしませんでした。
その背景には、「人は誰しも善に変わることができる」というジョースター卿の揺るぎない信念がありました。彼は、ディオの父であるダリオ・ブランドーにさえも改心を促し、指輪を渡してまで善人への道を託していました。つまり、ディオに対しても「きっと善き人間になれる」という期待を持っていたのです。
また、ディオが外面を完璧に装っていたことも大きな要因です。知性と礼儀、そして優秀な成績を兼ね備えたディオは、ジョースター卿にとって「模範的な息子」として映っていました。そうした“演技”の巧妙さが、真実を見抜く目を曇らせていたとも言えるでしょう。
加えて、ジョースター卿はすでに病に伏しており、身体的・精神的な判断力が鈍っていた可能性もあります。そのような状況の中で、自分が信じた相手を疑うという行為は、彼にとって極めて難しいことだったのでしょう。
ディオの裏切りに気づけなかったことは、ジョースター卿の「人を信じる強さ」が、皮肉にも「人を見る目の甘さ」へと変わってしまった瞬間でもあります。人間としては美徳であっても、守るべき家族の命がかかっている場面では、それが命取りになりかねないという現実を突きつけられるエピソードです。
邪悪なディオを信じた最期

ジョースター卿は、最期の瞬間までディオに希望を持ち続けていました。毒を盛られ命を狙われたにもかかわらず、「ディオの気持ちからすれば不平等に感じたのだろう」とまで語り、息子同然に育てた彼を完全には否定しなかったのです。
これは、人として非常に高潔な姿勢ではありますが、ディオにとってジョースター卿の信頼は最初から利用するためのものでしかありませんでした。そのすれ違いが、深い悲劇を生む結果となってしまいました。
最期には、人間を捨てたディオの凶刃からジョナサンをかばい、命を落とします。その死に顔は穏やかで、彼が己の生き方に一切の後悔を感じていなかったことがうかがえます。この姿は“誇り高き父”としての美しさを際立たせる一方で、視点を変えれば「最後まで甘かった」とも捉えられます。
善意に生きた結果として、家族と未来を脅かす者を育ててしまったという皮肉が、ジョースター卿に対する読者の評価を二分する理由となっているのです。
名言・セリフが評価を分ける

ジョースター卿には印象的な名言が多く存在しており、その言葉の数々が彼の人物像を際立たせています。「わたしも貧困の中に生まれたなら同じことをしたかもしれない」「なんの理由あってかわからんがわしは息子を信じるよ」など、優しさと信念にあふれたセリフは、読者の心に強く残ります。
これらのセリフは称賛される一方で、状況判断の甘さを示す証拠として語られることもあります。「この指輪は彼にあげたものだ」といった発言は、結果的に悪人に甘すぎた判断の象徴と受け取られることもあります。つまり、同じ言葉であっても、見る人によって「聖人の証」となるか「無能の証拠」となるか、解釈が大きく分かれるのです。
ジョースター卿の名言は、彼の信念と生き様を象徴するものであると同時に、その善意がもたらした功罪をも象徴する存在でもあります。セリフそのものが、彼の評価を決定づける重要な要素となっているのです。
現代では無能と評される行動

ジョースター卿の振る舞いや判断は、19世紀のイギリス紳士としての美徳に則ったものでした。しかし、現代の価値観から見ると、その行動のいくつかは“無能”と評されることもあります。特に、家庭内でのリスク管理や人物評価の甘さが目立っています。
ディオの異常な性格や、ジョナサンとの摩擦が明らかになっていたにもかかわらず、ジョースター卿は積極的に問題を解決しようとはせず、むしろジョナサンを叱る場面が多く見られました。さらに、明らかに自分を毒殺しようとする兆候があっても、ディオを疑わず、最後まで信じ続けたのです。このような対応は、現代的な感覚では「人を見る目がない」「危機対応ができていない」と解釈されても仕方がありません。
また、子育てにおいて「厳しさ=愛情」と信じていた教育スタイルも、現代では一方的で感情に寄り添わない方法として批判されやすくなっています。実際にジョナサンは心が折れかけ、親子関係が危うくなる場面もありました。
ジョースター卿の行動が“無能”とされる背景には、時代の価値観とのギャップや、現代社会が重視する「柔軟な判断力」や「危機察知能力」の欠如があります。これは決して彼の人格を否定するものではなく、価値観の変化によって見え方が変わったということを示しているのです。
評判と評価が分かれる人物像

ジョースター卿という人物には、常に賛否両論がつきまといます。ひとつの側面では「聖人」「人格者」として絶賛される一方で、「戦犯」「無能」といった厳しい批判を受けることもあります。
その理由は、彼が体現していた「無償の善意」や「揺るがぬ信頼」が、結果として多くの悲劇を招いたという事実にあるからです。
善人としての彼の姿勢は、ディオのような悪意ある存在には通用せず、むしろ利用される形で裏目に出てしまいました。読者の中には、「立派だが甘すぎた」「理想だけで現実を見ていなかった」と感じる人も多くいます。一方で、「どんな状況でも他者を信じる姿勢は真似できない美徳」として称賛する声も根強くあります。
物語全体を通して見れば、ジョースター卿の影響がジョナサンの成長や精神的な強さにつながっていることも確かです。たとえ彼の判断が結果として失敗に終わったとしても、その信念や生き方が誰かの背中を押していたことは否定できません。
評価が分かれるのは、それだけ彼の人間性が立体的であり、単なる善人や悪人に分類できない存在であることの証明でもあります。ジョースター卿は、“正しさ”と“危うさ”が共存する、非常に人間らしいキャラクターなのです。
ジョースター卿が戦犯と呼ばれる背景まとめ
記事のポイントをまとめます。
- 恩義からディオを養子に迎えた判断が後の悲劇を招いた
- ダリオの行動を善意として受け取った誤解が根本にある
- ディオの危険性を見抜かず家に迎え入れたことが致命的
- ジョナサンに厳しくディオに甘い教育方針が家庭の歪みを生んだ
- ジョナサンの不満や不安を理解しきれなかった
- ディオの表面的な優秀さに惑わされ続けた
- 最期までディオに希望を捨てず裏切られた
- 毒を盛られてもディオを責める姿勢を見せなかった
- 善意での判断が多く結果として無防備さに繋がった
- 家長としての危機管理能力が欠けていた
- 現代的視点ではリスク対応が極めて甘かったとされる
- 時代背景に基づいた価値観が現代にそぐわないと受け取られている
- 名言やセリフが人格者としても無能としても解釈されている
- 結果的に一族の争いの発端となる人物と見なされている
- 美徳が過剰であり、大局を見失っていた場面が多い